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性別というもの

私は既婚者の女性です。
今まで、家庭環境は省略して一括りにします、虐待家庭にありました。
私は、当時、10歳ごろから女性と男性の違いを、明確な今のような意識を持っていたわけではありませんが、男性と女性の差とはなんだ。と考えました
私は、同級生の女の子に恋に近いし気持ちを抱いたこともなんどもあります。
そして、異性である男の子にもその気持ちはあります。

そして、私は成人して、親から、家庭から離れて、はっきりと性というものを嫌悪するようになりました。

性があるから、人は憎悪する
性があるから、人は悲しみを生む
しかし、性があるから、人は愛を生む

それらを理解した上で、私は女性も、そして男性も、つまり、結果的に、私は性そのものが嫌いなのでしょうね。
憎悪するほどです。

私は、愛した主人の子を女として産まれたからには役目を果たしたら全撤去するつもりでいます。
私は、PMSもひどく、上記に述べた通りに、性そのものに嫌悪感がありますので、手術は怖いですが、メリットのあるものと考えております。

とくに、発作的におきる性嫌悪感とは別に周期的なPMSを排除することで、仕事がよりスムーズに、やりたいことを、成し遂げる時間を確保することがさらにできるのですから。

はっきりと診断をもらったわけでもありませんし、そして、今後もそういった行動に出るつもりは頑なにありません
バイセクシャルであること、それは、幼くから自覚していました。
それは、おそらくして、家庭環境及び経験からでしょう。

本題に戻ります
性別について。私はブログですから、自由に記します。
私にとっての性とは、恋愛とか愛情とか、そういったものとは無関係であります。結婚相手の方は、尊敬できる方です。私の特性についても理解を示してくれます。だからこそ、選びました
それは、男性だからとかではありません。たとえば、相手がまるっきり同じの女性でも私は変わらなかったでしょう。

性別なんて、なくなればいいのに。
私は常に思います
嘆きます 憎悪します
そして、それらは男尊女卑、女尊男卑だとか、そういった陳腐な話ではなく、そもそも人間は知的生命体です。同時に、動物でもあります。

なので、動物的本能として、異性を愛すのは当然です。両性や同性を愛する方が、よほどマイノリティであることは理解しています。

しかし、私が尊重したいのは、男性であることそのものや、女性であることそのものではないのです。

世界は変わりません。
認知も変わりません。
しかし、自分は変えられます。

幼き頃の虐待家庭では、私であることが許されませんでした。
私は、今、性別の中間地点を維持しようと、務めております。それは、せめて見た目だけでも、の話です。
女性であり、男性である。
中性的であること

安心感があります
鏡を見ると、生まれて初めて、あぁ私だ。と思いました。

私は、私を尊重します
愛する人を自分で選びました。
男性だからではない。
女性だからでもない。
なにか利益があるからでもない。

人とは、あの獣たちとちがう。
そう思えます